オナ禁日記

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2日目

2日目です。

今日は『愛と幻想のファシズム』の感想文です。(ネタバレ有り)



この作品はタイトルだけを見ると、ファシズムについて強く語られているかのように思われますが、要点はそこではありません。「経済を元とした支配体制(システム)からの脱却、システムの破壊」これがメインテーマとなっています。
物語に置いて、システムを壊す際にファシズムという政治体制を用いたというだけで、ファシズムを称賛するような文脈は無かったように思われます。

結論から言うと、システムから脱却することは出来ませんでした。
システムを壊すということは新しいシステムを構築するということだからです。

システムを壊そうとしていた者達が、物語が進むにつれ、システムの奴隷になっていく姿が見て取れます。狩猟社の中で奴隷にならなかったのは主人公の鈴原冬二とゼロ(相田剣介)のみでした。
そのため、ゼロは特別な存在として語られています。

(ここで気づいた方もいるかと思いますが、鈴原冬二や相田剣介や洞木さんなどなどは、エヴァンゲリオンに登場するキャラクターのモデルとなってるそうです。)

冬二とゼロと、そしてフルーツの関係もまたテーマの1つです。

物語の最後で、ゼロは冬二の気持ちに応えるかたちで自殺します。
何故、冬二はゼロに死んでほしいと思ったのか。
これはヒントが少なすぎて私には分かりませんでした。

ゼロは、一度はスキャンダルを起こし狩猟社の足を引っ張っりましたが、その後、冬二と過酷なハンティングを経験したことにより、狩猟社の中心的な人物として復活しました。それにも関わらず、冬二にとってゼロは消えて欲しい存在となってしまったのです。

ヒントを挙げると、
・ゼロは完璧な仕事ができる人間として返り咲いた
・冬二とゼロは一心同体に近いものがあり、冬二の中にゼロが存在していた
・表面的には、ゼロは冬二の存在を脅かす者ではない

つまり、冬二にとってゼロは完璧な人間になってはいけなかったということだと思うのですが、その理由が何故なのか、イマイチ分かりませんでした。
冬二の中の負の部分をゼロが担ってたということなのでしょうか…。
別に冬二は完璧な存在として君臨し続けても良かった思うのですがね。

冬二自身も何故ゼロに対して死んでほしいと思ったのか理解できていないようでした。
ここらへんはよく分からんっすね。


よかった点
・著者が壮大なテーマに挑む姿が見て取れて面白い
・主人公の冬二がいかにもカリスマっぽくてカッコいい
・大きな存在に立ち向かい蹴倒していく様子が面白い
・ところどころ無慈悲なことをするのが、何となく好き
・印象に残るような名台詞が多い
・この小説は1980年代の世界が舞台となっていますが、2013年現在の日本の政治体制や国民の意識に通ずるところが随所に見られ、よく考察されてるなと思いました

悪かった点
・ラスボスのウィッツとの直接対決が無い!
・多少経済の知識が無いと読みずらい部分もあるかも
・ST班がチート過ぎて千屋や洞木さんは何だったの?状態になる
・もう少しだけ、ゼロを自殺させた理由のヒントが欲しかった


非現実的な部分もかなり多かったですが、そこらへんはフィクションなので突っ込むべきではないと思います。

好きな人は好きなのでしょうが、かなり賛否が分かれそうな小説だと思います。
私は好きでした。

近代の日本史が好きなら好きだと思います。
あと、「資本主義の犬(システムの奴隷)」というワードにビビっと来る人は好きかな!

私は経済学の知識が全く無いので、そこらへんは難しかったですが、
物語の流れで何となく理解はできると思います。

以上、読書感想文でした。


次は『海底二万里』という小説を借りました。
割と読みやすそうです。1週間あれば読み終わるかな!?

それでは。

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20日目

20日目です。

『愛と幻想のファシズム』を読み始めて4日目になりますが、
そろそろ上巻は読み終わります。
専門書と違って小説はすらすらと読めるものですね。

本の感想は最後まで読み終わってから述べるとして、
気になった部分だけ取り上げて考えてみたいと思います。


「好きな事をやってる奴はとりあえず信用できる。そうじゃない奴は奴隷だ。奴隷は信用できない。」

はっきりと覚えてるわけではないのですが、
大体こんな感じの意味だったと思います。

この小説における「奴隷」とは、別の言葉で表すと「農民」です。
自分で考えず、他人の指示を待っている者。自らに欲望は無く、欲望は他者から供給される。「狩猟民」に寄生して楽に生きられればいいやと思っている。

「狩猟民」とは、一人で生きていくことが出来る者です。ひたすら快楽を求め、自らに欲望を見出す。「農民」を嫌う。

私を含め、このブログを読んでいる方の9割以上は農民に当たるかと思います。
本当にやりたいことを心からやってる奴なんて私の周りに居たかどうか。
大体は、社会的地位や給料のために働いていたり、「それが当たり前だから」という理由で学校に通っていたり、まぁ普通はそんなもんでしょう。

分かり易い例を挙げますと、

「自分でデザインしたファッションを身に纏う者」⇒「狩猟民」
「そのファッションを見て憧れたり真似したりする者」⇒「農民」

こんな感じです。
もちろんファッションに興味が無い場合は、この例には当てはまりません。

就きたい職業に就いた者や起業家が狩猟民とは限りません。
他人に与えられるのではなく、自分で快楽を見つけ出せる。
真の快楽を知っている者です。

何となくイメージできましたでしょうか?w


先ほど、このブログを読んでいる方の9割以上は農民と言いましたが、
限りなく10割と言った方が的確かもしれません。

なぜなら私は農民で、その農民のブログを読んでいるからです。

私は農民ではありますが、典型的な農民では無いかもしれません。
狩猟民か農民のどちらか決めるなら、そりゃ間違いなく農民だなとは思います。
何と言うか、「狩猟民に憧れる農民」というのがピッタリな気がします。
狩猟民っぽいことを考えたり行動に移そうとはするのですが、実力や才能が追いつかなかったり、途中で投げ出したりします。要するに中途半端なんです。

「好きな事をやってる奴はとりあえず信用できる。そうじゃない奴は奴隷だ。奴隷は信用できない。」この言葉は私の胸にグサっと刺さりました。

嫌悪するものはひたすら避けてきた、ここまでは別に問題ないのかもしれませんが、
やりたいことを目の前にしても実行できず尻込みしてしまう自分が、とてつもなく歯痒くて、苛立たしくて、客観的に自分を見てつまらない人間だなぁっと思ってしまいます。

まずそのネガティブな思想をどうにかしろ!という話しかもしれませんが…。
自分を好きになれないと狩猟民にはなれませんね。


ちなみに、今のところ、私はこの本に感化されているわけではありません。
物語としては面白いのですけど、どことなく嫌悪感を抱いてしまう作品ですねw
これから物語がどう進んでいくのか楽しみです。

それでは。

8日目

8日目です。

やや寝不足気味です。
休日を利用して就寝時間を調整する予定。

今週は雨が降ったり止んだりで出掛けるには不安が付き纏いますね。
やだやだ。

昨日、帰り際に図書館に寄りました。
お目当ての参考書は古いやつしか無かったのですが、
それなりに種類は豊富でした。

もう1つ小説でも借りよう!と日本文学コーナーをうろうろしていたのですが、最近の流行りがイマイチ分からず、結局は芥川龍之介の短編集を借りることにしました。

短編集なら最後まで読む必要もないでしょうし丁度いいかなと。

芥川龍之介の作品は確か国語の授業にも取り上げられてましたよね。
はっきり読んだ記憶があるのは『羅生門』

あれは中学だったか高校だったか思い出せないのですが、
文章全てを暗記するぐらいの勢いで読み込んだと思います。

それでもそれはテストのために読んだのであって、
文の解釈や作者の伝えたい事などは、先生の言う解答をそのまま正しいものとして受け入れていたのではないかと思います。

もちろんそれも1つの解答として存在するものでしょう。

しかし、歴史に残るような素晴らしい作品と言うのは、人に依って様々な解釈ができてしまうものです。特に作品の命題を考えることに醍醐味がありますよね。

羅生門の場合はどうでしょう。
教科書的な解答がどういったものだったかは忘れてしまいましたが、

「極限の中で生きるためにはどうすればいいのか?そこに法律や道徳は存在するのか?」という風に私は捉えました。
簡潔に言うならば「生きるために必要なこと」「人間の本質」「自己中心的な善悪」
こんな感じ!?よく分からないですね!w

たぶんもっと深くて正しい解答が存在して、
それを聞いたら思わず「そっちの方が正しいね!」と言ってしまう気がしますw

それにしても芥川龍之介の作品は読みやすいですね。
これだけ現代人の共感を得ることが出来る作品を残したということに、
ある意味恐ろしいというか、どこか超越したものを感じます。

こういう人は一体どういう生活や経験をしていたのか…。
最期は自殺したのですから、きっと一般的なそれではないのでしょう。

人の心をより理解しようとすればするほど、絶望といったマイナスの感情も強くなるのかな。

以上、読書感想文でした。

それでは。

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